昭和時代のヤミ金業者は、正規として正しく運営していたのはホント!?

昭和時代の闇金融

貸金業は古代からありましたが、個人への貸付行為が本格的になったのは昭和からです。
従来は商売をしている人への貸付がメインでしたが、会社員で働く個人を相手に貸付する業者が現れて、サラリーマン金融と呼ばれ略称のサラ金という言葉が誕生します。

 

1980年(昭和55年頃)にはサラ金は消費者金融と呼ばれるように変化していきます。
消費者金融になってからは、競争も激化してサラリーマンに限らず主婦やOL、自営業者もターゲットにされるようになります。

 

 

昭和に入ってからは金利が段階的に引下げられた

金利の引き下げイメージ

戦後の日本は高度成長期を迎えお金の流通も活発になっていきます。
貸金業も戦後に急増して競争が激化したことで高金利貸をする悪徳業者が増加します。
従来から上限金利を定める民事法は存在していましたが、守ろうとする業者が少なくほぼ機能していませんでした。
現代でも民事の問題になると証拠の立証が困難で個人間の金銭トラブルで泣き寝入りするケースが非常に多いです。

 

そこで政府は高金利貸に対して刑事罰を科す出資法を昭和28年に制定して、上限金利を守る業者が増加します。
年利300%や1,000%を取る業者は少なくなったものの、出資法の定める当時の上限金利は100%を超えていました。

 

当初は返済能力のある経営者や富裕層を相手にした商売だったので成り立っていましたが、サラ金の誕生によって個人への貸付が増えると100%を超える金利で返済に苦しむ人が増えていきます。

 

こうした背景を受けて、109.5%ほどで運用されていた上限金利は1983年に73.0%、1987年に54.75%%、1991年には40.004%と段階的に引き下げられていきます。

 

当時の日本はバブル景気からバブル崩壊を迎える時期で、それまで上限金利を守っていた正規業者も上限金利の引き下げによる収入減少とバブル崩壊によって貸し倒れが増えたことで経営難になる業者が乱立します。
普通の運営では成立しなくなる業者が増えたことで、上限金利を無視したり、悪質な取り立てを行う業者が乱立して闇金は全盛期の時代へと突入していきます。

 

 

昭和は闇金も普通に運営していた

バブル景気のときは、誰でも簡単に借金をできて、返済をするのも苦ではなかったです。
バブル崩壊とともに大手消費者金融や銀行は貸し渋りを始めて、小規模業者を相手に借りようとする人が増えてきます。

 

小規模業者は上限金利の引き下げとバブル崩壊による貸し倒れの急増で経営状態はよくありません。
そこで法外な金利を設定して、担保不要のフリーキャッシングといいながら返済できなくなると強制的に家や財産を差し押さえする違法行為をするようになっていきます。

 

時代の影響もあって、当時の闇金はバブル景気の80年代までは正規業者として運営していたところが中心でした。
好立地に事務所を構えて看板を出すのも当たり前で、警察や行政も取り締まりをする気はあるのですが、バブル崩壊とともに一気に闇金業者が増えたので手に負えない状態が続きます。
摘発される業者のある一方で、闇金は摘発を逃れる悪知恵を身につけていって警察とも上手に付き合う業者も存在していました。

 

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