闇金の言葉は昭和58年に生まれましたが手法自体は遥か昔より存在していた

闇金の原点は?

闇金の言葉が誕生したのは昭和58年に貸金業の届出を義務付けられてからです。
しかし、相場を大きく上回る金利で貸付をしたり、悪徳な取り立てを行っていた貸金業者や金銭トラブルはもっと古い時代からあり、原点は古代の7世紀後半に貨幣が誕生してからだと言われています。
7世紀後半の律令時代より、貴族や庶民の間で金銭や米などの貸し借りを行い、利息を取っていたことが記録されています。
当時は貸金に関するルールはなかったのですが、一部で相場よりも高い利息を徴収してトラブルに発展する事例もありました。

 

 

権力が生んだ闇金

権力のイメージ画像

古代は貴族も率先して貸金業を行っていたと言われています。
権力を利用して強引に貸付を行うこともあれば、貴族を相手にすれば安心という需要もありました。
お金を借りる相手に対して信頼性を求めるのは、いつの時代も同じです。
現代においてもテレビCMを積極的に行っているネームバリューのある大手消費者金融を利用する人が多く、銀行系カードローンも人気を集めています。

 

貨幣の登場した当時から、権力による縦社会は存在していて、貸手についても特定の権力者に人気が集中する傾向がありました。
そこで登場するのが中途半端に権力を持った人や権力を持っていない庶民です。
適正相場の良心的な貸付をしても成り立たないですし、そもそも貸付先が少数になってしまうと1件貸し倒れになっただけでも損失が出ます。
権力者と同じ方法で貸金業を行っても商売は成立しないため、高い利息を取ったり、強引な差し押さえをするようになります。

 

また、権力者である貴族も、貸金業をしているうちに、もっと儲けたいと欲が出てくるのが人間心理です。
良心的な貸付を続ける貴族もいる中で、一部の貴族はだんだん利息を高くしていくなど、徐々に手口がエスカレートしていき、悪評のでるような貸付行為へ発展していきます。
平安時代から鎌倉時代にかけては年貢の取り立て権限も持つ富裕層などが高金利貸を行う事例が増えていった歴史を持ちます。

 

 

上限金利と質屋の登場した鎌倉時代

鎌倉時代になると武器や防具、その他の物品を預けてお金を貸付する質屋が登場します。
さらに幕府からは国内初の上限金利制度を定めます。
上限金利の制定によって法外な金利を取るのではなく、質に入れる物を低く評価する方法での貸付が増えていきます。
それまでは個人間の貸し借りも多かった中で、質屋の登場によって個人から質屋を生業にする人が増えていきます。
また、この当社は上限金利はあったものの、本格的に機能はしていませんでした。

 

 

室町時代から始まった日銭貸

室町時代には1日ごとに利息を取る日銭貸があり、現在の貸金業に通じるサービスが出てきます。(現在のフリーキャッシングは利息の日割り計算が主流)
当初の日銭貸は1日で10%ほどの超法外金利も存在していて、主に酒屋が高金利の日銭貸を行って短期間で大きな利益を出していました。

 

しかし、一揆が起こると日頃から恨みを買う貸付屋が襲撃されるようになって、徐々に金利は落ち着き、江戸時代に入ると日銭貸は1日1%ほどに落ち着きます。
これは年利365%の計算で闇金でよくあるトイチ(10日で1割)の原点です。

 

これでも超高金利と呼べる水準で江戸幕府は貸金業の年利を15%まで引き下げ、その後天保の改革ころに12%にさらなる引き下げを行います。
規制を順守する正規業者が増える一方で、これまで超高金利で貸付をしていた人は納得がいかず、裏でルール違反の高金利貸を続ける業者も存在していました。

 

この時代からはだいぶ、現代の闇金に近いものになってきます。
その後は明治時代に一度は上限金利が撤廃されるも、すぐに高利貸が増えて再度政府は利息制限法を制定して現在の貸金業法へと進化をしていきます。

 

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